私の好き嫌いというのは、どうもなんだかちょっと変わってるらしい。
食べ物の好き嫌いは、味なんかよりもどちらかというと食感。
好きなものはそうでもないけど、嫌いなものはそう。
たとえば、ゼリーとかの寒天系。
これは歯触りの問題で、微妙な固さで食べられるものとダメなものとがある。だから、それがダメかどうかは実際のところ、食べてみないと分からない。
ゼリーが嫌いだというとたいてい不思議がられ、しかもコーヒーゼリーは案外好きだとかいうとそれはもう理解不能の範囲らしい。
今のところ、共感を得たことがない。
あとは、人の好み。外見は別として、人の話を聞いていていいなと思う、ポイントがある。
それは話し方、というか、言い方。言い回し。表現方法。要するに、何を言うか、より、どう言うか。
もちろん、内容にだって好き嫌いはある。でも、内容には同感でも、その言い方には納得できないということもあって、そんなときは無意味に反対したくなる。反対する理由なんかなんもないのに。
たとえば、昔、サザンの桑田さんのインタビューを何かで読んだんだけど、そこで、社会的なことを歌うとすぐに「社会派」と呼ばれてしまうけど、その時々で歌いたいことを歌ってるだけだ、と言っていた。
遠い記憶なのでニュアンスが違うかもしれないが、とにかく私の記憶の中ではそう言っていて、それまで別に好きでも嫌いでもなかったのが、それ以来なんとなく好きだ。
これまた、ものすごく伝わりにくいだろうね。
あるいはライブで、がんばれ、と声援を受けて、いやがんばってるから、と答える摩季さんとか。
あるいはラジオで、新曲がこれまでと感じが違う(この場合はいい意味で)、とメールをもらって、全部好きにならなくていいですからね(以下略)、と熱く語るスガ(シカオ)さんとか(最後にメールの人にはちゃんとフォローしてた)。
自分の分析では、言い分としてはまっとうで、でも受け答えとしてはちょっとだけ「屈折した」感じがいいんだと思ってる。それが当たってるかどうかは知らない。
ただね、問題は、内容的にはいいんだけど、言い方の肌触りとしてなんかイヤなの、というニュアンスを伝えるすべがないなぁということ。
それはこれっぽっちも理論的ではなく、感覚だけのことで、そういうことを伝えるのは苦手だ(どういうことなら得意なのか分からないけど)。いつも口にして後悔する。
でも、学習能力のない私はまた後悔して、今日はこういうところへ行き当たったという、そんなわけでした。