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2005年11月 アーカイブ

2005年11月01日

11月

ああ、気づけばもう・・・って、毎月言ってるなぁ。
もう一つ毎年言ってること言ってもいい?
もうすぐ今年も終わるねぇ。
よし、と。・・・お約束だからね。

えっと、終わらせますよ。今年中に。
まだ、ようやく半分ってとこだけどね。
ほんとに、なんてことかしら。
すでに呆れ果ててることとは思うけど、お見限りなきよう。
よろしう。

2005年11月06日

[5周年特別企画 15] 人を好きになった瞬間

ようやく折り返し。

今日のお題は

「人を好きになった瞬間」(thanks to 治空さん)

一応、お題の趣旨としては、やっぱり恋愛感情としての「好き」ってことだよねぇ。しかも過去形ってことは、今まであったことを語れって話だわね。
ってことは、このお題を語るのに、私ほどふさわしくない人間もいないんじゃないかと思う。
だって、分かんないんだもん。
「分かんないんだもん」とか言ってる場合じゃないような気もしないではないけどさ、分かんないものは分からないんだから、仕方ないじゃん。
って、開き直ってる場合でもあるまい。

まぁ、話を進めよう。

人を好きになる過程っていうのは、大まかに言って3つぐらいあるような気がする。
まず、一目惚れとか運命の出会いとかそんなふうに呼ばれるような、出会った瞬間、この人だと思うようなパターン。
それから、知り合ってから時間は経ってるものの、恋愛対象としてはまったく見てなかったのに、何かしらのきっかけで急に感情が変化するもの。
最後に、いろいろな積み重ねで少しずつ気になったりしながら、好きになっていくみたいなパターン。

好きになった瞬間が分かるのは、上の2つかなぁと思う。
でもって、私が多いのは、主に最後のやつ。
白と黒のグラデーションで白と黒の境界を見極められないのと同じように、どこで好きになったかなんて分からない。

しかも、たぶん自分の感情に非常に鈍感なんだと思う。痛みに強いと、病気になっても耐えられたりして病気と気づかないみたいに、たぶん気づいてない。後から考えれば、ずっと好きだったんだろうなぁとは思うけど、その最中には分からない。まぁ、鈍感にしてた部分は否定できないけど、それはまた別の話ということで。

とは言っても、明らかに黒だろうとか白だろうとかいうぐらいまで、色がはっきりしてくれば、さすがに知らないことにするわけにもいかず、好きなんだなぁということになるわけだけど、その瞬間がすでに末期症状ということが多くて、身動きする気にもならない。たとえば、その人が自分の好きな人の話をしてるとか、誰かからその人の結婚話を聞くとか、そんなときばっかり。

そうなったら、もうどうするもこうするもない。それでも、どうにかしてしまえ、とか言う人もいたけど、別にどうにかしたいとも思わない。まぁ、それほど好きじゃないっちゃ、好きじゃなかったのかもしれないけど、でも、相手にかけらもその気があるとも思えないのに、行動を起こすような考えはまったく浮かばないからねぇ、仕方ない。
まぁ、それが相手に好きな人がいるかどうかも分からない段階だったらどうなのか、その辺が分からないけどさ。そこまでいかないと自分が気づかないんだからねぇ。
しかも、その時期っていうのが、だいたい最初にあったときから1年以上は経ってるんだから、言うこともないやね。

だいたい1年以上も継続して何らかの接点があって、しかも結婚してなくて彼女もいない相手なんか、私の今の状況では絶望的な気がしてきたぞ。
それ以上に、別にそれならそれで仕方あるまい、と思ってる自分が絶望的な気もするけど。

なんにせよ、もうちょっと敏感になって、次の瞬間に備えときますかね。

2005年11月13日

風邪

巷では風邪が流行ってるみたいだねぇ。
昨日の朝、突然電話がなると、友達の死にそうな声。
具合が悪いから、今日の授業に変わって入ってほしいとのこと。
そんなわけで、今日は2日連続の学校。

私はと言えば、しばらく前からどことなく風邪気味っぽいんだけど、よくも悪くもならず。おまけに昨日あたりから、歯痛が・・・。

まぁ、そんなこんなではあるけれども、今週もこれからお題書きに精を出すかね。

いかん

さっき、独りごとを書いたあと、急遽今日までにやる約束だったことを思い出したり、歯が痛くて集中できなかったりで、お題が書けず・・・タイムリミット。

とりあえず、明日にでも歯医者行ってこよう。

2005年11月14日

歯医者

そりゃもう、昨日より痛くなってるしってことで、歯医者へ。
予想通り、神経を抜かれた。
いや、前に通ってたとき、痛むようだったら神経を抜かないと、と言われてたんだけどね。なるべくならとっておきたいなぁと思ったのが、運の尽きと言うべきか。
ずっと診てくれていた先生が休みだったらしく、違う先生に診てもらったけど、なにやら、神経抜いてる間出血が多かったらしく、「お痛みの強さが分かります」とか言われた。
いろいろ丁寧に説明してくれるのはありがたいけど、「お痛み」と言うほどたいそうなもんでもあるまい。というか、お痛みって、敬語としてあってるのかなぁ。

でもって、帰りに前回と同じく「麻酔が切れると違和感のような痛みが・・・」って言われたけど、これまた予想通り、前回と同じく「違和感」で済むかってぐらい痛い。
さっそくもらった痛み止めを飲んだので、今は治まってるけど。

2005年11月15日

カウントダウン

摩季さんがカウントダウンをやるらしい。
ナガシマスパーランドで。
東海地区に済む友達から、噂をよく聞くあのナガシマスパーランド。

微妙に車で行けそうな。でも、車だと、カウントダウンあけにすぐ帰ってくるのはきついか。いや、ゆっくりチェックアウトできるところに止まればいいのか?

最近遠出してないから、カウントダウンついでに旅行もいいかも。そんなこともなきゃ、ナガシマスパーランドなんて一生行きそうにないし。

なんてことを、ハウステンボスのときも言ってたなぁ。

さて、どうすっかね。

2005年11月24日

片づけ

26日に人が来ることになったもんで、昨日は昼頃から部屋の片づけに取りかかる。
まずは、読まずに散らかってる新聞の整理から。なんとなく憲法改正についての記事は取っておこうかなぁ、なんて思ったのが運の尽き。ざっくり見出しを読んでくだけで、気になった記事にたまに目を通すぐらいのものだっていうのに、午後いっぱい、というか、夜までかかる。一応、新聞は片づいたものの、部屋の見た目の印象があんまり変わらないんですけど・・・。
いかに自分がすさんだ生活を送っていたかを、再認識。
きれいになったら、なるべく散らかさないようにしよう、と毎度おなじみの決心をしてみた。まぁ、最低限年末まではきれいにしときたいね。大掃除が楽になるから。

指回し体操ってあるでしょ。右と左の指をつき合わせて、親指から順に回してくやつ。あれをテレビでやってたもんで、やってみたら、あまりに回せなくてびっくり。親指、人差し指、小指あたりは、まぁ、許せるけど、中指はだいぶぎこちないし、薬指に至っては自分の指とは思えない。
道理で最近頭が働いてない気がするわけだ。

2005年11月30日

[5周年特別企画 16] 大黒摩季ファンとして

11月も今日で終わり。

摩季さんについては、書きやすいようで書きにくい部分もあり・・・

ってことで、今日のお題は

「大黒摩季ファンとして」(thanks to 治空さん)

最近の摩季さんは、コメントなんかを見ていると、充実して、非常に幸せそうな感じがするねぇ。
それはそれで、もちろん喜ばしいことなんだけど、ファンとして気になるのは、それが摩季さんの作るものにどう影響してくるのか、ってことなわけだ。

その前しばらくの間、ファンの立場から見てるだけでも結構いろんなことがあって、ということは、摩季さん本人からしてみると、もっといろんなことがあって、その中での気持ちの揺れ方は想像以上に大きかったと思う。
そんな中で、摩季さんが自分自身の曲について語るときに、私が「これぞ摩季さんだ」と思ってた”軸”が少しぶれてきてしまってるように感じた時期もあったんだけど、この前のアルバム「Happiness」では、回り回って元に戻ってきたような印象があったので、その点については、ホッとした。
その”軸”というのは、誰のために歌っているのか、何を歌っているのか、のスタンスで、それを表現する言葉が変わってきてるなと思ってたのね。
単に言い回しだけの問題かもしれないけど、心の中にある感情なり考えなりを言葉にするときに、何をどのように言うか、というのは、対象なり相手なりに対する姿勢を表すもので、つまり、その言葉が変化してきたというのは、姿勢が変わってきたということになると思う。
そういう意味でも摩季さんが揺れてるなぁと思ってたんだけど、それが何となく戻ってきてるなぁと。
たとえば、摩季さんのブログで、書かれてるこんな文章とかね。

「素」のまま、私が今に至るまでの「あの日あの時あの瞬間、何を思って何をした~」と綴ろうと思ったのです。 (M'DRIVE:「アルバム“HAPPINESS”発売日」より)

この、”これが私だ”的な発言が、しばらく影が薄くなってた気がしてたのね。
思うに、摩季さんてのは、小説家でいうと、完全なフィクションを書く人ではなくて、私小説を書くタイプなんだよね。SFとかミステリは絶対書かないみたいな。
でもって、その私小説について「これが私だ」と言ってもらうと、そこに共感した”読者”としては救われる部分もある。
そして、それは作者の側から見れば、その物語から読者が読み取った人物像、というものを自分に引きうけることでもあると思うんだよね。作品は何でもそうだけど、自分が意図したように、受け止めてくれるとは限らないでしょ。その受け止められ方の振り幅も含めて引きうけようって覚悟がないと、言えない気がするのね。
少なくとも私にはそう思えたし、その覚悟がすごいなぁと思ってたんだよね。
だから、そういう言葉が聞けなくなってしまうと、何となく不安になってくる部分もある。摩季さん、いったいどこ行くのさ、って。
ただ、その時期でも、その歌詞ではずっと”一人称”だったから、その辺は今の”揺れ”が落ち着けば戻るかなぁという感じはあったけどね。

そんなわけで、その種の揺れは、最近ではあんまり感じなくなったんだけど、個人的に不満なのは、歌詞に迷いがなくなりすぎてることかな。
なんていうか、私のテンションが摩季さんのテンションに追いついてない、っていう。
こっちはまだまだ迷いがありまくりなのにさぁ、なんだよ。とか、まぁ、すねてるだけなんだけど。

それと、摩季さんは、これから何を歌ってくんだろう、ってことなんだよね。
摩季さん自身も言ってたけど、「幸せになりたい」っていうことが大きなテーマだったわけで、実際幸せになったら、何歌えばいいんだろう、ってことには、当然なる。
ライブでは「結婚しても文句や不満はなくならないってことが分かったので」なんて言ってたけど、その文句や不満の内容が問題なのよね。
やっぱり、それは独り身の人間とは、また別種のものであるかもしれないわけで、摩季さんの歌が私小説的である以上、私の共感するポイントとはずれてくことはあり得るわけで。
というか、実際微妙にずれてると思う。
曲自体を好きか嫌いかと聞かれれば好きなんだけど、それは「自分の気持ちにぴったり」という感覚とは、また違うものなんだよね。
まぁ、その感覚が一番強かったのは聞き始めた頃で、今まで常にあったわけでもないし、今だって完全になくなったと思ってるわけでもないからさ。
何より、”大黒摩季”という人の本質が変わってないと思えるので、歌う内容によってファンじゃなくなるということは、あんまり考えてないね。あとは、ほんとに興味があって、「Happiness」でこれまでの総決算みたいな感じがあったので、んじゃ、次何歌うのさ、っていうのを見てる感じかな。

まぁ、摩季さんが思うように活動できて、それなりのペースで、CD出してライブやってくれれば、それで私は満足だね。
もちろん、その中身に関しては、摩季さんと私がそれぞれ違う方に変わっていけば、どっかでファンじゃなくなることもあるかもしれないけど、それはそれだからね。
それより、CD出してライブやって、っていうのが、なんか思うようにできなくなる事態の方がちょっと心配なんだよね。ファンとしては。
CDの売り上げが減ってたりとか、ライブのチケットが余ってたりとか、実際あるからね。それに対してファンのできることって、限られてるとは思うんだけど、私の場合、例え一人でも興味を持ってくれたらと思って、「独りごと」で書いてみたりね。地道すぎる気もしないでもないな・・・。

ってことで、

12月19日武道館ライブ
「大黒摩季2005年冬の大感謝祭 年忘れだヨ!!全員集合=3~全部みせますマキベスト~」
チケット絶賛発売中

要するに、まだ余ってるってわけだ。よろしう。

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