なんだか、暖かい。
のに、なんだか、冷える。
矛盾。
光市母子殺害事件の差し戻し審の判決が出た。
テレビで本村さんの会見の様子をやっていた。
本村さんは、いつも努めて冷静に言葉を選んで話している。
それに対して、記者たちの質問はなんか違うような気がする。
本村さんが、マスコミを通して様々な訴えかけをしてきたことを考えに入れても、被害者の遺族にそれを聞いてなにがしたいのか、報道に必要なのかどうか、よく分からない質問が多い。
この事件だけじゃなくて、報道(特にテレビ)の伝え方が、なんだか”感情的”になっているような気がする。
そして、それに対応する”世論”の側も”感情的”に思える。
感情豊かであることはいいことだけど、感情的になることは見るべきものが見えなくなる危険性がある。特に、集団で感情的になっちゃ、まずい。誰も止められなくなるから。
そう思う。
”非暴力”を訴えるには、賢さが必要だと、ダライ・ラマ14世を見ていて思ったんだけど、冷静さも必要だよな。
感情的になることは、容易に暴力に結びつく。
気をつけないとな。
そうだ、ついでに書いておくと、”ついで”で書けるようなことは分からないけど、”国”と”その国に住む人”は分けて考えた方がいいし、一部をとって全体を判断しない方がいい、と思う。
中国とチベットをめぐるやりとりを見ながら、思ったこと。
これも、気をつけないと、な。