4回目と5回目の間がこんなに空いたのは、実は、このお題のせいじゃないのか、と思っていた、そこのあなた、いやいやいや、最初の下書きは一応、29日済ませてあったんだって。
ま、証明の仕様はないけど。
さて、そんなこんなの第5回目のお題は
「恋」(thanks to blue moonさん)
「恋」っすか。
って感じだった。初めてこのお題見たときは。
何書けってのかねぇ。
折しも桜が満開を迎えようとしてた頃(・・・ってそれからどんだけ経ってんだか)。
夕食を食べにいく途中、桜の咲く公園を通った。
そうかぁ、恋って桜だねぇ。
と、花見をする人たちを横目に、ふと思った。
咲き始めたと思ったら、一気に満開。散れば散ったで、それはまた絵になる。
これでいくか。
でも、そんな話延々としたところで、そんなありきたりな一般論、聞きたくもないだろうなぁ。
かといって、私的に恋なんぞ語れるような人生送ってないもんなぁ。
と、あれこれ考えみる。
恋に対する憧れ、みたいなものはたぶんある。
でも、それはちょっときれいに例えてみるなら、「星」みたいなもんだ。晴れてさえいれば毎晩見られるし、きれいだとは思う。でも、実際にはそれは何億光年とかいう、もう訳の分からないぐらい遠くにあるもので、ほしいとかほしくないとか、手に入れようとか、そういう対象にはならない。
要するに、どんなに輝いてきれいでも、それは自分とは無関係のもの。
恋もそんなもんだ。
ずっと、そう思ってた。
人を好きになることはあっても、届くことはない。
それは星に手が届かないのと同じように、私にとっては当たり前のことだ。悲しかったり、切なかったりしても、それはそういうものだから、取り立てて騒ぐほどのことでもない。
そんなことないよ。
やってみなくちゃ分かんないじゃん。
と、言ってくれる人たちもいる。それは、とてもうれしいことだけど、地球はいつか四角くなる、って説得されてるのと、ちょっとだけ似てる。
それは・・・なさそうだなぁ。
だから、恋について何か聞かれれば、恋は別にしたくないし好きな人もいないし興味もない、と答えるのが、いつものことだった。
でも、最近は
したくなくはない。
と答える。
多少年をとって図々しくなってきたのか、可能性そのものは0じゃないぐらいは思うようになってきた、というところか。
そもそも手の届かない「星」が、何かの拍子で大金が転がり込んだら手にはいるかもしれない「高級品」ぐらいにはなったのかもしれない。
それでも、そんな高級品、やっぱり必需品ではない。
別に恋がなくても生きていける。というより、むしろそれが当たり前の状況。
だから、さびしさとか、そういうことと恋とは直接結びつかない。もちろんさびしいときはあるし、それがないふりもしないけど、さびしいといえば、小さい頃からずっとそうだったし、それが恋というもので埋まるものかどうかは、私には分からない。
そうなると、どうなるかというと、さびしいから恋がしたいとか、恋人がいないからさびしいとか、そういう発想自体がない、ということになる。
そもそも、これだけ一人でいると、それはそれでバランスがとれるものだ。
まぁ、そんなバランス、崩れたところでどうってこともないんだろうけど、それでもとれてるものはとれてるわけで、わざわざ崩したくもない。
だから、
したくなくはない。
そうなる。
せめて、ほしいけど今お金ないから買えないなぁっていう「パソコン」ぐらいになるといいのか。でも、現状は、「星」に戻らないようになんとか気をつけてるってとこかな。
先は長いなぁ・・・。
あぁ、手っ取り早く、花咲じいさんに灰でもまいてもらうかぁ。
枯れ木に花を咲かせましょう、って。
・・・って、あたしゃ枯れ木か?