iPod miniがあたるというので、ウーロン茶をせっせと飲んでる今日この頃。
でも、電車の中で見かけた、ソニーのが思いの外かっこよく光っていて、それもちゃんとチェックしてみようと考え中。
そんな感じの今日のお題は
「苦手(キライ)な人」(thanks to hiroさん)
誰しもあまり人に触れられたくない場所っていうのがあると思う。私にもあって、というか、かなりの隠したがりな気がするけど、そこに触れられるのが、非常に苦手。でもって、どんな形にせよ、常にそういう部分を意識させられるような人も、やっぱり苦手。
たいして親しくもないのにやたらと人の内面を知りたがる人とか、自分の内面と引き換えに人の心の中をのぞきたがる人とか。
私が、ひとりでドライブ行ったりする、と言うと、さびしくない? と聞く人がいる。これ自体は特にさびしくもないので、別に、と答える。でも、もし、さびしい、と答えたら、その人どうにかしてくれるんだろうか。どうにかしてくれる気もないのに、さびしいという本音だけ認めさせられて、だよねぇ、とか言われて、笑ってみせたりしなくちゃいけないのは(別にそんな対応しなくてもいいんだけど)、なんだか理不尽な気がしてしまう。特に、自分がまいってるときはかわすのも一苦労で、余計にそう思う。そんな質問を一回されたぐらいで、その人がどうこうということもないけど、その手の質問ばっかりする人は、ダメだね。
たとえば、そんな感じかな。
あとは、内面には立ち入らないけど、なんだか隙のない人も苦手かも。自分の至らなさが際だってくるから、萎縮してしまう気がする。それも、ある意味で、自分の隠したい部分を意識させられるってことだから。
しかし、誰かのことが苦手とかキライとかって、結局のとこ、自分の弱みでしかない気がする。自分というものをありのまま受け入れられてれば、そういう人ってだいぶ減るんじゃないかなぁ。それをごまかしたり、隠したり、嘘ついたりするから、そこを突かれるとイヤだって思ってしまう。
だから、その苦手を人に言うっていうのは、自分の弱点をさらしてるのとたいして変わらないよね。
できるなら、そんな人いない、って言いたい。
でも、思うんだけど、どうがんばったって弱いもんは弱いんだし、隠したところで隠しきれるもんでもないし、そもそも人間できてるわけでもないんだから、苦手な人の1人や2人や3人や4人・・・いても当たり前のこと。
それを自分の中で認めないで、苦手とかキライとかないことにしてみても、なくならないどころか消化できなくなるだけ。だったら、それを認めちゃった方がよっぽど潔いし、楽ってもんだ。私の好き嫌いごときで、誰かの優劣や価値が変わってくるもんでもない。
だからって、触れて回ることでもないけど、うっかり口にしてしまったとしても、全速力で逃げればいいことだ。
余裕で追いつかれそうだけど・・・。