« 4月21日のライブ | メイン | 薬が効いた!? »

いつかの続き

いつものように、学校から。

サポートとして2年間毎週日曜日学校に通ってきたわけだけど、とりあえずこの4月からのクールはお休みということになった。また、7月から、今度は土曜日に通う予定。
引っ越しとか、あれやこれやで変わる部分もあり、この先どうなるんだか微妙に分からないんだけど、休みは素直にありがたい。思い返せば、ほぼ3年間、日曜なり土曜なりどちらか休みじゃなかったもんねぇ。
1泊の旅行とかも行けるぞ。

で、残すとこ、あと1回。来週は休みで、再来週。
来週は休みって言っても、この前やってた校正の再校(・・・って、日本語として正しいのかなぁ)がでるので、間違いなく休めなさそうだけど。学校があればあったで、もっと大変だから、これもありがたい。

ところで、ずっと前に書きかけてたことがあったよねぇ。
誰か覚えてるんだか分からないけど、自分にとってもだいぶ過去のことになるつつあるけど、まぁ記録しとく。
といっても、字面として書けることは、あんまりないかも。いや、長くはなりそうだけど、論理的に説明できる事柄じゃないから、伝わりづらいような気はする。

ともかく。

過去に書いたやつを引っ張り出すのはあんまり好きじゃないんだけど(掘り起こしたくないだけとも言う)、面倒なので、前回のやつをとりあえずリンク。

(タイトルつけ忘れ)
 ←タイトルつけてなかったことに今気づいた。

ってことで、それを踏まえて。

ねじれの話をしてたんだね。
要は、自分が精神的に不安定な状況にあることを分かっていつつ、それをなんでもないことのように扱おうとしたために、そこにねじれが生まれてきたんだろう、っていう話。
もうちょっと具体的な話をしようか。

最近気づいたんだけど、人の感情に影響されてしまう傾向があるみたいなんだよね。それに対して自覚があって自分の感情と区別できるなら問題ないんだけど、これができないらしい。特に、精神的に落ちてるときは。
だから、たとえば、友達が何かあってものすごく精神的に参ってたりすると、意外にそのままストレートに直撃を受けるのですよ。ただ、それをストレートに表には出さないんだけど、案外自分も参ってしまう。
で、これもどうなんだか、よくも悪くも、そのあとその友達が何か言ってこない限りはそのままこっちからは何も言わないんだよね。
私は私として、気にしてはいるのよ。何か必要があれば、いってきてくれるだろと思うから、何にもいわないんだけどさ、気にはなるんだって。
けど、その人の落ち込み度が高いほど、意外に、一気に立ち直ってものすごく幸せになってたりすることも多いわけで。
もちろん、それはいいことだし、うれしいことではあるんだけど、去年一昨年あたりの私の精神状態だと、うまく受け止められないのね。うれしい反面、ものすごく取り残された気になってしまう。
なんか別方面からそういう状況だってことを知らされた日には、自分が思ってるほど向こうはそんなでもないんだなぁと、どことなく悲しくなってくる。
自分が気にしてることを伝えてるわけでもないんだから、仕方ないのは分かってるけど、でも、やっぱり気にはしてほしかったりする。
それも無理な注文だって分かっちゃいるのよ。幸せであることはいいことだし。
けど、そういうことが今までもずっとあって、その精神的に最悪な状況でも1人じゃなくて何人かいて、っていうことになると、徐々にイヤな感情が溜まってくるわけだ。
素直に人の幸せを喜びたいんだけど、それができない自分がいて・・・できない自分を消し去ってしまえ・・・ともできないし。かといって、その自分を表に出すのもイヤなんだよね。
と、ここにねじれが生まれるんだな。

それに加えて、恋愛と結婚ですよ。
いや、ここまでもすでにそれなんだけど、なんんていうか、してる人もしてない人も世の中すべてが恋愛だ、結婚だって言ってるような気になってね。
会うたびに、恋愛したい、結婚したいっていうねえさんたちとか、妙に幸せそうなねえさんとか、テレビとかラジオとか、雑誌の中吊りとか、どこ見てもそれだらけだし。
いや、だから、みんなが幸せになるのはいいんです。けど、幸せになるのはそれだけだとか、それがないと幸せじゃないとか、そうなってくると困る。だって、どことなく絶望的だもの。私にとっては。
でもって、みんなが恋愛だ、結婚だ、で幸せになってくと、より孤独になってくような気がしてしまう。だって、遊んでもらいづらいもん。なんとなく。

そして、摩季さんですよ。なんだか知らないけど、結婚してからやけに恋愛の教祖みたくなってしまって、新しい企画が出てくるたびに、恋愛相談みたいなやつだったり、口を開けばみんな幸せになろうっていうはなしだったり。その幸せは、やっぱり結婚だ、恋愛だってとこにあったり。
ライブでだって、そんな話ばっかりだ。

いや、まぁ摩季さんが悪いんじゃないのは、もちろん分かってるのよ。摩季さんだけじゃなく、周りのねえさんたちも、テレビもラジオも雑誌も別に悪かない。何が悪いかって言えば、自分自身の精神状態なわけでね。
分かってるもんだから、誰にも文句は言えないし、だからと言ってどうにもできないし、ねじれはますます強くなってく。

そんなのがピークになったのが、摩季さんのアルバム「Happiness」が出た頃。仕事中に、ずっとかけてたら、無性に聴いてられなくなって、ラジオに切り替えたら、恋愛特集みたいのをやってて、ラジオも消したっていう・・・。いやぁ、いかがなものか、というぐらいな精神状態だったわ。
でも、その日の夜には、また「Happiness」聴き始めたけどね。

そんなこんなで、ねじれは解消されないわ、気力はないわ、集中力はないわ、思考能力はないわ、な毎日を送って、年末。
ある日、突然一番大きなねじれだけは、解消された。
ほんとに突然。

そのまま書くと、ほんとに呆気ないんだけど、そのまま書いてみる。

12月19日の武道館ライブのあと、「アイデンティティ」を聴こうと、アルバム「Rythm Black」を久しぶりにかけた。で、それを聴いてたら、ここに戻れとは言えないなぁ、と思ったの。これ、別に摩季さんだけじゃなく、誰に対してもね。
そしたら、なんか楽になった。

それだけ。何の誇張もなしにそれだけ。
おかげで、私はクリスマスの夜、あろうことか「運命なんかクソ食らえ -RUNAWAY BLOOD-」という、タイトルだけでクリスマスにふさわしくない曲を口ずさんでたりしたんだけど。

なんだろ、その人の今の状態を喜べないってことは、つまり、前の状態に戻ってほしいと願うことじゃない? で、その前の状態は「Rythm Black」なわけよ。
うーん、聴いたことない人には、さっぱりわかんないだろうなぁ。要するに、その最悪のつらい状況に戻るってことになるわけだ。
それぐらいは頭では分かってたんだけど、何だろ、腑に落ちたというか、感情レベルで納得したというか、そんな感じかなぁ。

そうして、すっきりして、年を越しましたとさ。

そんなもんで、みなさま、心置きなく幸せになってくださいな。
なんて言わなくても、幸せになるんだろうけどさ、幸せになったら、一言お知らせいただけるとありがたいでございますよ。
そうでないときもね。

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://consworld.com/cgi/mt/mt-tb.cgi/398

コメントを投稿

(いままで、ここでコメントしたことがないときは、コメントを表示する前にこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)

About

2006年04月02日 17:11に投稿されたエントリーのページです。

ひとつ前の投稿は「4月21日のライブ」です。

次の投稿は「薬が効いた!?」です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。

Creative Commons License
このブログは、次のライセンスで保護されています。 クリエイティブ・コモンズ・ライセンス.