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2005年10月 アーカイブ

2005年10月03日

気づけば

なんか、気づけば、10月になってるし。

またまた滞ってるけど、とりあえず精神的に落ちてたりとかそういうことはなく、ほんの少しばっかり忙しくて、お題をアップするほどまでの余裕がないというぐらい。

っていうか、なんか疲れて、効率が非常に悪い。
今週はうちのボスが休暇中なので、その間に黙々と作業を進めとかないと行けないんだけどねぇ。

ま、早よ寝よ。

2005年10月09日

八景島

昨日は八景島シーパラダイスへ。
友達夫婦が遊びに来たので、声をかけてもらった。
でも、なんだか、うちらいらなくね? という感じもしなくもなかったけど、まぁ、水族館自体はなかなかよかったので、それはそれでいいことにしとく。

にしても、八景島は遠い。うちから、正味2時間はかかるってどうよ。

というわけで、イルカ。

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2005年10月19日

ロッテ優勝と古田監督

一昨日の話題だけど、千葉ロッテマリーンズがリーグ優勝したねぇ。
うちのおばあちゃんがずっとロッテファンで、小さい頃には川崎球場に連れてってもらったりしてたから、ちょっと感慨深い。生きてたら、なんて言うかなぁ。
最終戦だけは中継を見てたけど、帰り際、そうだと思って、テレビつけたが最後、終わるまで帰れなかったぐらい、いい試合だった。
プレーオフはおもしろい。でも、シーズンで2年連続首位だったホークスは、割り切れないだろうな。そもそも勝ち上がってきたチームには勢いあるし、こっちは待つだけだし。同条件で戦うには不利だ。
じゃ、リーグ優勝のタイトルは首位のチームにあげてしまえばいいんじゃないかって、去年から思ってたんだけど、いっそのこと、日本シリーズをプレーオフみたいにするってのは、どうかなぁ。
まず、シーズンを戦って、首位のチームを各リーグの優勝チームとする。で、各リーグの上位2チームなり3チームなりで、プレーオフっていう。まず各リーグ、2位、3位のチームが戦って、その勝者と優勝チームが戦う。
・・・って、それってセもプレーオフすればいいだけか?
とにかく、盛り上がるし、緊迫したいい試合も見られるので、改善するべきとこは改善して、いい方向に持っていってもらいたいなぁ。

と、野球関連でもう1個。これは、昨日の話題。

ヤクルトスワローズの来季監督に古田敦也選手が選手兼任で就任することが決まったねぇ。そりゃもう、あり得ないぐらい大変だとは思うんだけど、見る方としては非常に楽しみ。
来年は1回ぐらいは神宮に行って、できればバックネット裏から、古田”監督”がマスクを外して、ピッチャー交代を告げるのを見てみたい。
なんて思ってたら、29年ぶりっていう、その29年前にプレーイングマネージャーをしていた、野村克也監督の場合、試合中の采配はヘッドコーチにほとんど任せてたとか・・・。
できることなら、ピッチャー交代だけは監督にやってもらいたいなぁ。

ところで、来季の選手会長は誰がやるんだろ。

2005年10月22日

松本へ

毎年恒例のOB会で、明日から松本。
天気がいいといいんだけど。

2005年10月28日

時の流れ

松本から帰ってきて早5日。
OB会に参加すると、年々時の流れを強く感じるようになってきて、楽しいことは楽しいんだけど、なにやら疲れたりする。
OBの参加メンバーは、主に2期から5期ぐらい下の後輩たちで、さらに下の子たちから見れば、すでに大先輩で、なんだか貫禄がある。

そろそろ、OB会に参加するのももういいかなぁって思うんだよねぇ。
と言うと、
私も、あと4,5年は来るから、先輩も来てくださいよ。
と言う後輩。
・・・それって、今の私ぐらいだから。

今年は特に、後輩たちの結婚話をたくさん聞いて、大人になったねぇとしみじみしつつ、ちょっとさびしい。
みんな、名前が変わってくねぇ。
とつぶやいていると、
改名したらどうですか。
・・・結婚じゃなくて改名っすか。しかも下の名前の方らしい。
そんな彼女も、将来のことを考えてるとか。

どうか、みんな幸せにやってくださいな。

そうやって帰ってきたら、専攻の先生が亡くなったと連絡があった。25日が告別式だったとか。やけに、私の卒論を気に入ってくれた先生だった。

でもって、26日には、大学の同期から、無事出産したとの知らせ。

これ人生なり、かな、と。

2005年10月30日

明日

明日、というか、やっぱりすでに今日だけど、学校の日。
午前中は授業だけど、午後は授業じゃないので、できる限りお題を書いてみようと思う。
いろいろ雑用的なことを頼まれることもあるので、時間があればね。まぁ、仕事なので当たり前だけど。

ていうか、10月が終わる。

[5周年特別企画 13] 呪文

えー、まぁ、そういうことで・・・・ってどういうことだ・・・ってことで、とっとと行きます。

今日のお題は

「呪文」(thanks to のっちさん)

呪文かぁ。ちょっとワクワクする響きだよね。やっぱり魔法使いとか連想するからかなぁ。
魔法使いものって、わりに好きだったと思うんだけど、魔法使いになりたいと思った記憶はないんだよね。それよりは、ドラえもんの道具がほしかったりとか、怪盗ルパンの子分になりたかったりとかしたなぁ。
なんでだろ。
もしかして、魔法使いものって、みんな女の子向けだったからかな。サリーちゃんにしてもアッコちゃんにしても、そういや、クリーミーマミとかってのもあったっけ? あの辺はみんな女の子が、大人になったりとか、きれいになったりとかそんな内容だったような感じがするもんね。あぁ、だからだな。
別に早く大きくなりたいとか、お姫様になりたいとか、そういう願望はなかったもんな。昔から。

なんだか、魔法使い談義になってる気が・・・。

えっと、呪文ね。
まず、魔法使いが思い浮かんじゃったわけなんだけど、呪文っていうのは、何かしらに変身できたり、何かが何かに変わったりとか、どっかに飛んでいったりとか、「唱えることで何かにある効果をもたらす言葉」かなぁ。

魔法使いじゃない私にとっては、そんな便利な言葉なかなかないけど、口ぐせはある意味、”呪文”だと言えると思う。
ちょっと前に「口ぐせを変えると人生が変わる」みたいな題の本があった気がするけど、そんなふうに口ぐせで気持ちが変わっていくことは確かにある。
なんか、口ぐせって、意識的にしろ、無意識にしろ、何かしらの意味があると思うんだよね。その言葉を口にすることによって、何かしらの精神的な作用がある。落ち着くとか、気分が切り替わるとか、気分が高まるとか。
その、作用そのものが呪文的な働きだと思う。よく言われる、言霊なんだろうね。

たとえば、なんか疲れたりしてもうダメかなぁというときに、「まだまだ大丈夫」って言ってみると、まぁ、ほんとにダメなときはやっぱりダメなんだけど、多少余力のあるときは、もうちょっとがんばれたりする。

そういう作用。
これはプラスの作用だけじゃなくて、マイナスの作用もあって、ダメだ、ダメだって言ってるとほんとにダメになる。

呪文と口ぐせは似ている。

てことで、自分自身のことに入っていこうと思うんだけど、長いっすか。
でも、まだ長いの。

自分の口ぐせは、意識的に口ぐせにしてるんでない限り、なかなか気づかない。でも、まぁ、こんなとこかなぁというのが、この2つ。

めんどくさい。
しょうがない。

・・・なんですか、このしょーもない言葉たちは。
さて、こんなものに、何らかの精神的作用が隠れているものか。ただ単に怠惰な性格が表れてるだけなんじゃないのか。多分そうな気がするけど、まぁ一応考えてみることにする。

まず、「めんどくさい」。
これは何かやらなきゃいけないことがあると、まず反射的に口をつく言葉。だって、めんどくさがりなんだもん。いや、そんなとこで開き直られても困るけど。
とは言っても、昔はあんまり口にしなかったのよ。なんか、めんどくさがるってあまり良くないイメージがあるじゃん。だから、思ってても思ってないことにしてたんだろうね。けっして、めんどくさがりじゃなかったわけじゃないので、そこには多少の無理はあるわけよ。
それをあるときから、やめようと思ってね。そのいきさつは、いろいろと独りごとでも書いてると思うので、ここでは割愛するけど、その中で、まずめんどくさいものはめんどくさいって言ってしまえ、っていう。だって、隠しておくのもめんどくさいもの。
まぁ、そんなわけで、この「めんどくさい」はまず「自分の本心をまず素直に認める」という作用があるわけだ。

でもって、「しょうがない」。
これは、結構「めんどくさい」とセットで使うことも多い。たとえば、やらなきゃならないことがあって、それは「めんどくさい」けど、「しょうがない」からやるか。という感じで。
逆もあって、「めんどくさい」から、「しょうがない」やめるか。という。
最初の場合は、分かりやすいと思うけど、めんどくささを超える理由を受け入れるための言葉。めんどくさいからやらないというのは、それでいいと納得できていれば問題はないんだけど、めんどくさいからやらないというのは、いかにも怠惰な人間っぽいので、それを自分で許せないと、精神衛生上あんまりよろしくない。だから、自分が怠惰であるという事柄もひっくるめて、受け入れるための言葉。
要は、なんにしろ、「現状を受け入れる」あるいは「納得させる」という効果があるのかなと。

いささか胡散臭い解釈ではあるけど、そんなふうに言ってもそれほど間違いじゃないと思う。
まぁ、このおかげで、それなりに精神のバランスを保てている面もなきにしもあらず、のような気もするけど、活力が感じられない口ぐせだな。
もうちょっとバイタリティーのある呪文を見つけ出して、口ぐせを置き換えようかなぁ。

[5周年特別企画 14] 人生(私の生き方)

では、本日第2弾。

お題は、

「人生(私の生き方)」(thanks to 治空さん)

人生(私の生き方)

人生とか、生き方とかを語るほど、人生悟っちゃいないなぁ。
特に、”私の”なんて言われると、ちょっとおこがましい感じがする。

今現在の生き方なんか語れるほどのものでもないし、ここはひとつ理想的なものぐらいでお茶を濁してみようか。

”生き方”っていうと、どう生きるかってことだろうと思うんだけど、どう生きるかっていう問いも結構漠然としてるよね。
その中で、どんな人になりたいかということも、これまで生きてきた結果が、人の中に表れて人を形成していくなら、やっぱりそれも生き方のひとつだと思うので、その辺を今回はちょっと書いてみる。

まず、どんな人になりたいかというと、富士山みたいな人。
って、なんだか子供が、大きくなったらウルトラマンになりたい、って言ってるみたいだ・・・。
まぁ、似たようなものかもしれないね(否定しろよ)。

もちろん、富士山そのものになりたいわけじゃなくて(当たり前だ)、その佇まいというか、日本人の中にあるだろう、というか、私の中にある富士山を擬人化したイメージを持った人になれたらいいなぁと。

私はなんとなく富士山に人間っぽいイメージを抱いてるんだけど、これってたぶん私だけじゃないと思うんだけど、どうなんだろう。もともと富士山は信仰の対象だし、そこには当然神のイメージもあるだろうし、神というのは、どことなく人に近いものだと思うからね。

そんなことはともかく、具体的に富士山っぽいというのは、どんなことかってことよね。

まず、富士山って、どっしり構えてるっしょ。
あの、何事にも動じない感が非常にいいんだよね。なにぶん自分が、なんにでもすぐ動じるもんで、動じないものには憧れるという・・・まぁ、ないものねだりってわけだね。

なんか、こんなこと、富士山見るたびに書いてる気が・・・。

でも、次はこないだ松本から帰ってくるときに、富士山見ながら、気づいたことだから初めて書くよ。・・・前に同じこと思いついてなければね。

富士山が孤独か孤独でないかっていうと、多分孤独だと思うわけですよ。だって、山脈の中のひとつの山でもないし、他の山と比べてみても一見して富士山だって分かるということはそれだけ他とは違うってことで、人間で言えば、”浮いてる”と言っていい状態だもの。
でも、揺るがないでしょ。
多分、内側では、いろいろとあると思うんだよね。ゴミ問題とか。そういうあれこれを決して表に出さず、悠然と構えてる。

いつでも変わらずにそこにあり続ける、ということがなんかこう周りに、ある種の安心感を与えられることってあるじゃん。私にとっては、富士山っていうのは、そういうところもあるんだよね。

しかし、そういう雄大な人になれると、そりゃもう・・・孤独だろうな。やっぱり。
でも、それをがっしり受け止められる大きさも憧れたりとか、するんだけどね。

私のイメージでは、美空ひばりさんが、孤独であることを引き受けて、表に対しては最後までスターであり続けたのは、富士山的だと思う。
それを思うと、やっぱり無理だなぁ。あんな覚悟はどこにもないもん。

それに、そんなものを目指してると、いわゆる幸せには縁遠そうだなぁ。ま、なれなさそうなので、よしとするか。

ただ、そこにいることで、誰かに緊張感を強いるんでなくて、何かしら肩の力を抜けるようなそういう、ほっとできる、そういう空気感のある人になれたらいいなぁとは思う。

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