« 2005年04月 | メイン | 2005年06月 »

2005年05月 アーカイブ

2005年05月08日

よろしう。

お題の方が、ちっとも更新できてない。

ゴールデンウィークは、友達の結婚パーティと河口湖であちこち遊んできて、しかも校正なんぞもあったりして。後は休息。
・・・休息ってなんだよ。

そんなわけで、更新できてないけども、水曜日あたりには校正が一段落する予定なので、更新できるんじゃないかと。

よろしう。

2005年05月12日

よろしう。ぱーと2

うんと、校正が一段落したので、できれば、明日あたり、お題を再開したいな、と。
そう思っておりますです。

2005年05月16日

アクセスできなかった件について

ここ数日間、この独りごとにアクセスできない状態が続いていました。

実は、契約更新を忘れてまして・・・すみません。
決して、お題が書けないために、逃亡を図ったわけではありません。

サーバーだけでなく、ドメインの方の更新も忘れていたために、なんだか妙なページが出現して驚いた人もいるかと思いますが(一番驚いたのは私ですが)、すみませんでした。そういうわけなので、あしからずご了承ください。
(サーバーの契約だけじゃなくて、家賃振り込むのもすっかり忘れてのは、内緒ね)

これに懲りず、これからもよろしくお願いします。

2005年05月17日

[5周年特別企画 05] 恋

4回目と5回目の間がこんなに空いたのは、実は、このお題のせいじゃないのか、と思っていた、そこのあなた、いやいやいや、最初の下書きは一応、29日済ませてあったんだって。
ま、証明の仕様はないけど。

さて、そんなこんなの第5回目のお題は

「恋」(thanks to blue moonさん)

「恋」っすか。

って感じだった。初めてこのお題見たときは。

何書けってのかねぇ。

折しも桜が満開を迎えようとしてた頃(・・・ってそれからどんだけ経ってんだか)。
夕食を食べにいく途中、桜の咲く公園を通った。

そうかぁ、恋って桜だねぇ。

と、花見をする人たちを横目に、ふと思った。
咲き始めたと思ったら、一気に満開。散れば散ったで、それはまた絵になる。

これでいくか。

でも、そんな話延々としたところで、そんなありきたりな一般論、聞きたくもないだろうなぁ。
かといって、私的に恋なんぞ語れるような人生送ってないもんなぁ。

と、あれこれ考えみる。

恋に対する憧れ、みたいなものはたぶんある。
でも、それはちょっときれいに例えてみるなら、「星」みたいなもんだ。晴れてさえいれば毎晩見られるし、きれいだとは思う。でも、実際にはそれは何億光年とかいう、もう訳の分からないぐらい遠くにあるもので、ほしいとかほしくないとか、手に入れようとか、そういう対象にはならない。
要するに、どんなに輝いてきれいでも、それは自分とは無関係のもの。

恋もそんなもんだ。

ずっと、そう思ってた。
人を好きになることはあっても、届くことはない。
それは星に手が届かないのと同じように、私にとっては当たり前のことだ。悲しかったり、切なかったりしても、それはそういうものだから、取り立てて騒ぐほどのことでもない。

そんなことないよ。
やってみなくちゃ分かんないじゃん。

と、言ってくれる人たちもいる。それは、とてもうれしいことだけど、地球はいつか四角くなる、って説得されてるのと、ちょっとだけ似てる。

それは・・・なさそうだなぁ。

だから、恋について何か聞かれれば、恋は別にしたくないし好きな人もいないし興味もない、と答えるのが、いつものことだった。
でも、最近は

したくなくはない。

と答える。
多少年をとって図々しくなってきたのか、可能性そのものは0じゃないぐらいは思うようになってきた、というところか。
そもそも手の届かない「星」が、何かの拍子で大金が転がり込んだら手にはいるかもしれない「高級品」ぐらいにはなったのかもしれない。

それでも、そんな高級品、やっぱり必需品ではない。

別に恋がなくても生きていける。というより、むしろそれが当たり前の状況。
だから、さびしさとか、そういうことと恋とは直接結びつかない。もちろんさびしいときはあるし、それがないふりもしないけど、さびしいといえば、小さい頃からずっとそうだったし、それが恋というもので埋まるものかどうかは、私には分からない。
そうなると、どうなるかというと、さびしいから恋がしたいとか、恋人がいないからさびしいとか、そういう発想自体がない、ということになる。

そもそも、これだけ一人でいると、それはそれでバランスがとれるものだ。
まぁ、そんなバランス、崩れたところでどうってこともないんだろうけど、それでもとれてるものはとれてるわけで、わざわざ崩したくもない。
だから、

したくなくはない。

そうなる。
せめて、ほしいけど今お金ないから買えないなぁっていう「パソコン」ぐらいになるといいのか。でも、現状は、「星」に戻らないようになんとか気をつけてるってとこかな。

先は長いなぁ・・・。

あぁ、手っ取り早く、花咲じいさんに灰でもまいてもらうかぁ。
枯れ木に花を咲かせましょう、って。

・・・って、あたしゃ枯れ木か?

2005年05月22日

[5周年特別企画 06] 適齢期っていつ?

実家のリフォームが完成したから見に来い、とのことで実家に来てる。
でもって、餃子を焼けだの、なんだのと使われてるらしい。

さて、本日のお題は

「適齢期っていつ?」(thanks to sallyさん)

適齢期ってなんの?

とか聞いたら怒られるか。
じゃあ、

知らない。
以上。

・・・ウソです。

えっと、一般的に言うと、どんぐらいかな。今だと、20代後半ぐらい? 確か、何年か前に、女性の初婚年齢が平均26とか27とか言ってたような気がするけど。
去年の流行語に従えば、30過ぎて、未婚、子なしは「負け犬」らしいから、その前が適齢期なんだろうね。

私の意見は、「いいじゃん、いつでも」。
したいときにすればいい。まぁ、したいからと言って、いつでもできるもんでもないけど、それも縁ってやつだ。焦っても仕方ない。できるときはできるし、できないときはできない。
そんなもんじゃないの。と思ってる。

まぁ、うちの母親に言わせると、

あんたねぇ、結婚はしようと思わないとできないのよ。しようと思ってもできないなら仕方ないけど、しなくてもいいって思ってるんだったら、しようと思わなきゃダメ。

だそうだけどね。そう言った後に、

私たちはどうでもいいけど、一人だと老後がさびいしいわよ。

なんて言われると、さすがになんだか申し訳ない気にはなる。だからといって、そんなこと言われて、はい、そうですかと結婚する気になるわけでもなく、今の私には、まだまだ「考えられないこと」なんだよね。
でも、別に「しなくてもいい」って思ってるわけじゃなくて、「しない気がする」と思ってるだけなんだけど、まぁ表面的には同じようなもんか。

ほんとに今は、結婚してる自分の図みたいなものが、なんも思い浮かばないからね。
まだ独り身の友達の中には、結婚したくて仕方ないねえさんたちもいるけど、できないならできないで、まぁ一人でいるのも楽しいし、というねえさんたちのが多いから、しばらくは遊んでもらえなくなることもなさそうだし。

ただね、ものすごく漠然とした予想(計画じゃなくて、予想)の中では、たぶん40ぐらいになったら、結婚についても考えられるようになるんじゃないかと思ってるのね。なにせ、今は前回のお題で書いたみたいな状況だから、それをまず意識を変えてって、で、それがなじんできて、っていうのが、それぐらいかなぁと。
そうじゃないと、結婚というか、誰かと一生生きていこう、という大それた決心ができると思えないもんね。

だからまぁ、そういう意味では、私の適齢期は、40代だね。

・・・遅っ。

2005年05月23日

しばし

お題の更新がだいぶ滞ってるねぇ。

なんで更新できないときも、なんかしら書いてこうかと。

今日は学校も、ビルが停電とかで休みだったから、2つぐらいは書こうかと思ってたんだけど、案外実家で手間取って、今帰ってきたとこ。

とは言っても、昨日の夜と、今日一日中パソコンに向かってたもんで、目がちょっとしんどい。
詳細は、また話す折があるかと思うので、今日はこの辺で。

ちゃんとお題は、頭の中で組み立て中なので、しばしお待ちくださいませ。

2005年05月24日

ある一面での今の状況

人は、すぐに楽な方に流れる。
もちろん、私もそうで。

こうした方がいいとか、こうしろとか、いわれた方が楽で、自分で何かを考え出したり、行動したりするのはめんどう。人がやってくれるならその方がいい。
なんて、ついつい思いがちだったり。

でも、それじゃいけない、とか思っても、その状況に慣れてないと、どうしていいか分からない。
そのための試行錯誤なわけだ。

何もやらないのが、この場合、一番問題か。

という、ある一面での、今の状況。

2005年05月25日

[5周年特別企画 07] 人との距離のとり方

今日は300円のラーメンと160円の餃子を食べたあと、その近所にあるミスドで、ドーナツ1個とコーヒーを飲みながら、今日のお題の下書きをしてきました。このまま行くと、この企画が終わる頃には、横に成長してそうです。

そんな、今日のお題は

「人との距離のとり方」(thanks to hiroさん)

人との距離を多めにとりすぎる傾向があると思う、私の場合。
だから、「距離を保つ」という意味での「距離のとり方」なら、なんも問題ないんだけどね、逆に「近づかない」ということが、たぶん問題。
近づくのも、近づかれるのも苦手。そういうことを意識しないで、なんとなく関係ができあがるときはいいけど、どんな相手でも勢いよく近づいてこられると、そのままそーっと後ずさりするし、自分からは基本的に近寄らないし。・・・って、威張ってる場合じゃない。
結局、ある程度距離を保ってる方が落ち着くし、楽なんだよね。でも、この距離感と感情のバランスがとれなくなると、えらいことになるのよ。これが。

なもんで、ここ何年来、考えてるのが、

いかにして人との距離を縮めるか。

ってこと。

で、考えた結果、できあがった作戦がこんなの。

その1 自分の気持ちをちゃんと言葉にして把握する
その2 その気持ちを人に伝えられるようにする
その3 相手との距離を確認する
その4 その距離に合わせて、自分から働きかけてみる
その5 相手が応えてくれたら、もう少し進んでみる

その1、その2は、準備運動というかリハビリというか、そんな感じだね。
で、どうしたいの、って自問自答したときに答えられないと、どうしようもないんだよね。どこに行きたいか分からないと、どこにも行けない。というか、どこかに行きたいかどうかも分からないと、立ち尽くすしかないでしょ、という話。
だから、まず現状確認。自分がどう思っていてどうしたいのか、これをマイナスな部分もひっくるめて言葉にする。
そして、伝えるところは伝えること。
伝えないことは相手にとってはないのと同じこと。何でもかんでも伝えりゃいいってもんじゃないけど、あんまりなんにも伝えないと、自分の存在自体薄くなってくもんね。

ってとこから、まず始めたんだけど、それが今こうして、独りごとみたいなことになってるわけですよ。
これで、だいぶ、もの言うようになったよ。比較の問題だけど、いろんなこととりあえず口にしてみるようになったと思う。それがいいかどうか、微妙なときもあるけどね。

そして、その3~5で、具体的に距離を縮めてこう、と。
単純に、相手に心を開いてほしいなら、まず自分から、という、とても当たり前なことを言ってるだけだったりする。しかも、これは案外昔から気をつけてたことではあるのね。ただ、ここから導き出される結論が「だから自分の心を開きましょう」じゃなくて、「だから相手が心を開いてくれなくても仕方ない」ってなるときがあるから、気をつけておかないといけないんだけど。
だって、それだと、距離縮まらないじゃんねぇ。

あとは、相手が自分との距離をどう考えてるかさえ見誤らずに、3~5を繰り返していけばいい関係を保ったまま、それなりのところまでは近づけるだろう、と。

こんな作戦なんだけどね。
別に間違っちゃいないと思うし、悪くない。

だけど、人との距離感とか付き合い方とか、結構悩んでいろいろ考えてきたのにさぁ、それが、なんとなく光が見えてきたと思ったら、そのスタンスっていうのかな、昔と変わってないんだよ、あんまり。

ただ、内容は変わってる。
今思うと、前は、そういうものを「自分」を抜きにして考えようとしてたとこがあったのね。つまり、自分が理想とする距離感があって、それを成立させるためにどうすればいいかってことを、自分の感情を外に置いて考えてたような気がする。でも、今はまず「自分」ってとこから始めないといけないな、って思ってる。そうしないと、成り立たないから。

自分の気持ちと相手の気持ちと両方分かってはじめて、折り合いがつけられる。自分はこう思ってるけど、相手はこう思ってる。じゃ、こうしよう。ていうのが、折り合いなんであって、自分がなくて相手はこう思ってるからこうしよう、というのは意図はどうあれ、ただ折れてるだけ。そういう関係は長続きしそうには思えないもんね。

付かず離れず、ちょっとずつ近く、折り合いをつけながら、それぞれの距離を楽しめると、それが理想かな。

2005年05月29日

ちょっと安心

比較的簡単に書けるかなぁと思ってると、案外行き詰まったりするもので・・・お題の方が滞ってる。

今日はある友達の日記が更新されていて、ちょっと安心。
いや、ここで書いても伝わらないけど。
書くことって、エネルギーのいるもので、どんなにマイナスなことでも、それを言葉にしてるうちはまだそのエネルギーが多少なりとも残ってるってことだから、ほんの少しでも余裕があるってことだと思う。それが途切れたときが、一番心配になるんだよね。最近は。
自分のこととか考えると、ほんとにそう思う。

話変わって。

たとえば、友達が、自分がいつもイヤだって言ってることをなんの説明もなくしたとしたら、ものすごくイヤだろうと思うし、自分との付き合いをやめてもいいと思ってるんだろうな、と感じてしまうと思う。
逆に言うなら、友達がそれだけはしてくれるな、ということを、どうしてもやらなきゃいけないか、やりたいとなれば、その友達が大事なら、こういう理由でそれをやるんだと言うことを説明するだろうという気がする。
そういうことなんじゃないかと思うんだけど、違うのかな。靖国問題は。

どうなんですかね。

2005年05月30日

[5周年特別企画 08] 苦手(キライ)な人

iPod miniがあたるというので、ウーロン茶をせっせと飲んでる今日この頃。
でも、電車の中で見かけた、ソニーのが思いの外かっこよく光っていて、それもちゃんとチェックしてみようと考え中。

そんな感じの今日のお題は

「苦手(キライ)な人」(thanks to hiroさん)

誰しもあまり人に触れられたくない場所っていうのがあると思う。私にもあって、というか、かなりの隠したがりな気がするけど、そこに触れられるのが、非常に苦手。でもって、どんな形にせよ、常にそういう部分を意識させられるような人も、やっぱり苦手。
たいして親しくもないのにやたらと人の内面を知りたがる人とか、自分の内面と引き換えに人の心の中をのぞきたがる人とか。

私が、ひとりでドライブ行ったりする、と言うと、さびしくない? と聞く人がいる。これ自体は特にさびしくもないので、別に、と答える。でも、もし、さびしい、と答えたら、その人どうにかしてくれるんだろうか。どうにかしてくれる気もないのに、さびしいという本音だけ認めさせられて、だよねぇ、とか言われて、笑ってみせたりしなくちゃいけないのは(別にそんな対応しなくてもいいんだけど)、なんだか理不尽な気がしてしまう。特に、自分がまいってるときはかわすのも一苦労で、余計にそう思う。そんな質問を一回されたぐらいで、その人がどうこうということもないけど、その手の質問ばっかりする人は、ダメだね。

たとえば、そんな感じかな。

あとは、内面には立ち入らないけど、なんだか隙のない人も苦手かも。自分の至らなさが際だってくるから、萎縮してしまう気がする。それも、ある意味で、自分の隠したい部分を意識させられるってことだから。

しかし、誰かのことが苦手とかキライとかって、結局のとこ、自分の弱みでしかない気がする。自分というものをありのまま受け入れられてれば、そういう人ってだいぶ減るんじゃないかなぁ。それをごまかしたり、隠したり、嘘ついたりするから、そこを突かれるとイヤだって思ってしまう。
だから、その苦手を人に言うっていうのは、自分の弱点をさらしてるのとたいして変わらないよね。

できるなら、そんな人いない、って言いたい。

でも、思うんだけど、どうがんばったって弱いもんは弱いんだし、隠したところで隠しきれるもんでもないし、そもそも人間できてるわけでもないんだから、苦手な人の1人や2人や3人や4人・・・いても当たり前のこと。
それを自分の中で認めないで、苦手とかキライとかないことにしてみても、なくならないどころか消化できなくなるだけ。だったら、それを認めちゃった方がよっぽど潔いし、楽ってもんだ。私の好き嫌いごときで、誰かの優劣や価値が変わってくるもんでもない。

だからって、触れて回ることでもないけど、うっかり口にしてしまったとしても、全速力で逃げればいいことだ。

余裕で追いつかれそうだけど・・・。

About 2005年05月

2005年05月にブログ「CON's World」に投稿されたすべてのエントリーです。過去のものから新しいものへ順番に並んでいます。

前のアーカイブは2005年04月です。

次のアーカイブは2005年06月です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。

Creative Commons License
このブログは、次のライセンスで保護されています。 クリエイティブ・コモンズ・ライセンス.